スポーツ産業の変遷と私の履歴書(8)
自己紹介だけで話が結構なボリュームになり恐縮する次第ですが、全10回で話を完結させようと思っております。残り3回でFC岐阜時代の経験と、プロスポーツビジネス分野の講師・研究者に至る経緯を文章に纏めていきます。
2009年は、前年のリーマン・ショックに続き、民主党政権が誕生するなど、政治経済的にも、先行きが不透明な苦しい時代にあったことが思い出されます。
私の生活も例に漏れず、2009年4月の入社直後、当時の社長から職員全員に、「運転資金が夏を過ぎた頃には尽きる」という話を伺うような状況だったので、冷静に見れば底辺です。しかしながら、「好きなサッカーの仕事」になんとか帰ってくることができた自分は、ある意味ポジティブでした。
経営危機の記者会見を6月に開く、という話は決まっていたのですが、ただ「お金がありません、支援してください」では地域の理解を得られるとは到底思えませんでした。そこで「経営危機を克服するためには、クラブの明確な施策をセットで提示することが不可欠」と経営陣に意見しました。
私は当時グッズ担当者として、直営のインターネット販売サイトを、名古屋で経験した楽天市場のシステムではなく、出店コストが安いYahoo!ショッピングで立ち上げていたところでした。加えてこのタイミングから、集客の責任者として、キャンペーンの立案を担うことになりました。
他クラブと比べ、当時のFC岐阜が優れている点を挙げるとすれば、業務が外部委託や縦割りではなく、皆が顔を突き合わせ、「この状況をどうするか」という議論を前向きにできる環境にあったことです。キャンペーン自体は私が組み立てていましたが、招待施策やクーポン雑誌への無料出稿など、PR面の準備も並行して仕上がってゆきます。
2009年6月24日、岐阜メモリアルセンター長良川競技場内の会議室にて、FC岐阜の経営危機に関する記者会見が開かれ、大勢の記者の方々が集う中、集客責任者として社長席の隣に座り、集客キャンペーンについて説明をさせていただきました。
「経営危機」という話になれば、通常は経営責任の追及など、どうしてもネガティブな方向に向かいがちなのですが、メディアの方々の取り上げ方も「どう克服するか」という論調だったのは救いでした。
クラブ職員だけでなく、選手たちも、ピッチ上での全力プレーはもちろんのこと、試合前日には駅前でのチラシ配布に全員で参加し、試合直後にはファンのお見送りでゲートに立つなど、クラブの存続第一に頑張ってくれていました。
7月にはオンラインショップも立ち上げ、自身かなりの激務にある状況でしたが、柏時代に名古屋グランパスの店長求人があることを教えてくれた恩人を岐阜に招くことも実現し、そこからは集客・チケッティングの担当者として業務に専念できるようになりました。
実際、キャンペーン企画での集客増は、チラシのクーポン券回収により1試合500名程度の記憶なのですが、それ以外にも地域のクーポン雑誌への出稿や、招待券の戻りも含めて、数千人規模での入場者の増加が把握できたのでした。
キャンペーンの後も、入場者数は少しづつ増加の傾向を辿る状況でしたが、翌2010年のシーズンは、ホームスタジアムの岐阜メモリアルセンター長良川競技場が、国体に向けた改修工事のために使用できないことが判明します。
県外も含め、色々と代替会場を検討していましたが、翌年は収容人数が3500人程度の長良川メドウという球技場しか使用できない見通しとなり、せっかくファンが増えてきているなかで、これが大きな足かせになる、という議論になっていました。
ここでも私はポジティブでした。専用球技場のほうが臨場感があってよい、ということもありますし、当時のFC岐阜は、まだ集客を招待券に依存する状況があり、これを克服するのによい機会だ、と捉えるに至りました。
そこで、シーズンチケットの販売に力点を置き、前のシーズンがまだ行われているうちに、競技場の中で大々的に発売を行うことを考えました。
今でこそクレジットカードや、その他の決済方法が全盛ではありますが、岐阜については目の前で手続きが確実になされている安心感のほうが勝る、という考えにたちました。現金決済をメインに据え、2009年ホーム最終戦で「良い席はお早目に」という触れ込みのもと、シーズンチケットの特設販売テントを作り、大々的にPRを行いました。
万単位の現金を持つお客様が長蛇の列を作り、シーズンチケットを買い求めてくださいました。おかげさまで、よい意味で商品の枯渇感が生まれました。オフシーズンもショッピングセンターのイベント広場を使わせていただき、イベントを行いながらシーズンチケットの現金決済の場を設けたのでした。
前年、500枚も売れていなかったシーズンチケットが、シーズン始まる前に900枚近く売れるに至りました。何よりも大きかったのはキャッシュフロー上での貢献です。売り上げとしては、翌2010年の計上になるにしても、預かり金としてFC岐阜の口座には、確実に現金が入金されます。
結果的に、シーズンチケットだけでトータル3,000万円近いキャッシュが動いたのですが、2009年の最終出勤日に当時の経理部長に『通帳の残高を気にせずに、年を越せると思っていなかった。本当に助かった。ありがとう。』と声をかけて頂けました。
スポーツビジネスの仕事のなかで、この言葉を頂けたことが、実は、一番嬉しい記憶だったりします。
もちろん、お金を払っていただけたのはクラブを信じ、支えて頂けた県民・市民・ファン・サポーターのみなさまであることに間違いはありません。なくなりかねない会社が息を繋ぐことに、少しでも貢献できたという思いは、自身にとって大きな支えなのです。
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