スポーツ産業の変遷と私の履歴書(7)

今回は2008年から2009年にかけての話を書きます。2008年はリーマン・ショックの年でもあり、4月に職場を離れたのち、次のFC岐阜で勤務を始める2月まで職にありつけなかったという、私個人にとっても、人生のなかで一番というくらいに厳しい時期でした。

実をいえば、職場を離れた直後にFC岐阜で勤務している名古屋時代の同僚から、即お誘いを受けていた経緯があります。しかしながら、当時のFC岐阜については、木村元彦氏の著書『徳は孤ならず 日本サッカーの育将 今西和男』(pp.162-165)に書かれているように、とにかく業界での評判が良くなかったのです。

名古屋のほうは、退職が決まったのち有給休暇が一ヶ月半ほど未消化だったこともあり、せっかくの岐阜からのお誘いを「まだ可能性を追いたい」という理由で断り、しばらく就活も兼ね旅に出ることにしました。

関東の取引先さまを挨拶回りしたり、これまで観戦で訪れたことのなかった山形などの国内の街を転々とし、6月にはサッカーの欧州選手権が行われていたオーストリア・スイスを目指し、さらにドイツ・オランダをめぐる2週間の一人旅もしました。(この話だけで10話はかけるような話ですが、ここでは止めておきます。)

(写真:2008年欧州選手権オーストリア・ザルツブルグの街のパブリック・ビューイング会場にて見かけたノルウェー人6人衆。ちなみにノルウェーは本戦出場しておらず、スウェーデンを応援しにきていた。片言の英語で、名古屋でプレーしていたノルウェー人・ヨンセンの話をしたら、ローゼンボリのサポーターもいたという楽しい思い出。)

日本に戻ると、リクルートを通じてJリーグの職員公募が出ていて、応募してみたところ書類審査、一次セミナーを通過し、二次面接にまでは到達しました。後で伺うところによると応募は4,000人規模、二次面接に残っていたのは30名程度だったようですが、お盆の頃に縁がなかった通知を頂き、途方に暮れます。

9月からは、これからJを目指すクラブに経験者需要があるのではないか、とJFLを中心に各地を巡り、知人を辿りながら可能性を探っていました。この年JFLからJ2昇格を決めたファジアーノ岡山とカターレ富山には、昇格決定の場だった富山の陸上競技場で、両クラブの関係者に履歴書を手渡しするという荒業も繰り出す様でした。

しかしながら、こちらの動きもうまくいかず、11月には貯金も底をつき、12月、名古屋の部屋を引き払い、実家に戻るという悲しい状況に陥りました。何の明るい見通しもなく年を越し、ただただ実家で悶々と暮らしていた頃、名古屋退職時に僕を誘ってくれたFC岐阜の同僚から再び電話が来たのです。

グッズの販売を請け負っていた委託会社さまが離れてしまい、物販業務自体をクラブでいちから構築しなければならない、という話でした。電話口で即答できなかったのですが、一度岐阜に行ってクラブの様子を見たい、と告げ、翌日、練習があった北西部運動公園に車を走らせました。

そこでとても印象に残る光景がありました。練習後、選手が一列に並んでいて、その前に1人のサポーターの方が立っていました。中古の車を寄付するという話で挨拶をされ、選手全員がその厚意に応える形で、揃って頭を下げていたのです。

とてもサポーターとクラブの距離が近いように感じられ、このようなクラブなら苦しい状況もきっと乗り越えられるのではないか、と直感的に考えました。

それ以前に、こちらが働く場を選んでいられる状況ではなかったこともありますし、2度も声掛けをしてくれた仲間に対する恩も当然あります。潰れる寸前と言われていたクラブでしたが、お手伝いすることを決意したのでした。

2月から4月までは、まだ試用期間的な扱いでもありましたし、部屋探しをする余裕もなく、実家のある豊田から毎日車で岐阜まで通っていました。開幕まで2~3週間という状況ながら、物販に関する備品や商品管理の仕組みがゼロの状況で、外販用の金庫やコインカウンター、販促物を掲示するための什器なども全て揃える必要がありました。

あれがないこれがないと困っていても、その様子に手を差し伸べてくださるような助け合いの空気もあり、3月中旬の甲府との開幕戦で、無事クラブ直営で競技場販売ができる状況まで整い、売り上げも満足なレベルであがりました。自分としても、これまで経験したことがストレートに活き、この上なく嬉しく感じられた出来事でした。

自分の前任の担当者が岐阜市役所からの出向の方だったのですが、その方が借りていらっしゃった部屋を格安で引き継ぐこともできました。4月からは岐阜に腰を据えてさあ頑張っていこう、と意気込んでいた矢先、社長から『あと数ヶ月で運転資金が尽きる』という、衝撃の状況が告げられたのでした。

この続きは、また明日更新する予定です。

(写真:岐阜時代の部屋の写真。長良川に面した部屋で、カーテンを開けると目の前に金華山・岐阜城が見える絶好のロケーション。家賃3万円。スポーツが好きすぎるとこうなります。)

みるスポーツ研究所―MIL Sports Institute―|Hiroshi Okada's Ownd

プロスポーツビジネス分野の講師を務める MIL Sports Institute代表・岡田浩志が、スポーツ産業の現場で起こっている最新動向を、関心ある方々に発信しています。

0コメント

  • 1000 / 1000