スポーツ産業の変遷と私の履歴書(6)
今回は2007年前後のお話しを書きます。スポーツ史的な内容ではありませんが、時代的に重要な出来事として、故スティーブ・ジョブス氏がiPhoneの開発をプレゼンしたのが、2007年1月ということを触れておきたいと思います。
「タッチコントロールワイドスクリーンiPod」「ブレイクスルー携帯電話」「革命的インターネットデバイス」これら3つの開発は、各々別個のものではありません、皆さんお分かりですよね?という有名なプレゼンテーションは、新しい時代の到来を告げ、社会の激変を世界中にもたらすことになります。
2004年前後から、Web2.0などと言われるように、ウェブ上を通じて、多くの方々が気軽に情報発信・情報交換を行う世の中になっていました。私が『クラブグランパス』で勤務していた頃も、ファン間のコミュニケーションは、電子掲示板やブログを通じて盛んに行われていたことを思い出します。
私個人は、スポーツ界のプロパー職員になってから、コンプライアンスの関係もあり、オンラインのコミュニケーションを完全自粛しておりましたが、ビジネス上では、この社会変化に対応する必要性に迫られることになります。
クランパスの場合は、当時オンラインショップを外部に委託していていた関係で、EC(eコマース:電子商取引)のノウハウが社内になく、売り上げも他クラブに比べて大きく劣る状況にありました。さらに、2006年期は全体の成績が振るわなかったこともあり、経営的に大きなテコ入れが必要な状況があったのだと回顧します。
そのような状況下、経営陣により『クラブグランパス閉店』という判断がくだりました。
( この判断についてどのような経緯であったかは、私も直接は聞いておらずお話しすることが難しい内容です。)
閉店は2007年の12月末になりますが、店長として私にこの判断を告げられたのは確か9月頃だったと思います。この年から私は事業部の正社員になっていたので、店舗の閉店作業と新物流拠点づくり・新オンラインショップの構築が、新たな自分の役割と決まります。
2007年12月の「閉店セール」の情報解禁まで、お客さまにはもちろん、一緒に働くスタッフにも当件は口外不可でした。いつもと変わらず店舗業務をこなす以外に、倉庫物件探しや、リフォーム業者・引越業者さまとのやり取りがあったり、楽天市場の出店研修を受けるなど、忙しい日々が続きます。
11月末にセールの概要リリースが出ると、サポーターの方々に大きな動揺が広がります。お客さまと直接面と向かう立場でもありましたので、厳しいお声も多々お受けしました。アルバイトスタッフにも新体制について説明し、理解を得る必要もありました。
セール最終日、閉店に向けて作業をしていたのですが、閉店時刻に近づくごとに店内のお客様がどんどん増えてゆく、という状況になっておりました。名古屋サポーターの方々が長年ご愛顧してくださり、思い出がいっぱい詰まった場所です。
お店を守れなかった立場ですから、私から何か伝えられるようなことはない、と本気で思っていたのですが、サポーターの方に促され、レジ前に集う方々の前で閉店のご挨拶をさせて頂きました。具体的には覚えておりませんが、店を守れなかったことへのお詫び、翌年以降も名古屋グランパスというクラブは永劫続くので、形は変われども、ご愛顧をお願いするような内容であったと思います。
明けた2008年からは、お店を空にする作業と、オンラインショップ構築の作業に追われました。2001年にデザインスクールに通い、DTPは学んでいたのですが、Webデザインはコース外だったため、HTMLなどのWeb構築に必要な知識は、楽天市場の研修で初めて学びました。
今でこそ、この私個人のホームページも、無料提供の仕組みのなかで、自分で数時間で立ちあげて毎日決まった時刻に更新し続けられる時代になりましたが、HTMLなどWeb構築の専門知識がなくとも、CMS(コンテンツ・マネジメント・システム)で簡単にホームページを作れる仕組みは、まだ本格化していなかったのです。
世の中には当然専門スキルを持っている方も多々いますので、自分のスキル不足、能力不足としか言いようがありません。楽天市場の「名古屋グランパスオンラインショップ」「名古屋グランパス配送センター」を立ち上げたのちの4月、私は精魂尽きてしまい、新倉庫で働くアルバイトスタッフの前で「もう限界です」と土下座をつき、それ以降職場に戻ることはありませんでした。
次回(7)は名古屋退職後と2009年・FC岐阜でのお話しを書こうと思います。
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