スポーツ産業の変遷と私の履歴書(4)
今回はスポーツ産業の変遷というよりは、「業務委託先でスポーツに関わる」というテーマの話になります。資料ではなく体験ベースになりますが、読んで頂けましたら幸いです。
2002年10月、柏市東の「レイソルチームショップ」のショーウィンドウに貼られた『営業員募集』の文字に誘われ、私はドアを開き「募集の貼り紙をみたのですが」と店員さんに告げました。すると中から初老の職員の方が出てこられ、そのまま面談となりました。
給与条件などの話にもなり、「月15万円くらいになると思う」と言われたのですが、「月20万円ならお願いしたい」と返答し、結果待ちとなりました。
(※ちなみに、スポーツ業界の現実として話しますが、不動産業時代の最高年収は一度も超えたことはありません。)
結果入社することとなったこの会社、柏レイソルの運営会社「日立柏レイソル」ではなく、その業務委託会社「日立ライフサービス」という会社です。日立製作所の子会社に「日立ライフ」という会社があるのですが、その子会社(つまり日立製作所の孫会社)にあたります。(※ちなみに「日立ライフサービス」という会社は現存しません。)
「日立ライフ」は茨城県日立市に本社を置く、日立製作所の福利厚生事業を担う会社で、社員寮・社員食堂の運営、福利厚生施設の管理を主業とするのですが、生協業務や事業所の売店など、不採算事業をこの日立ライフサービスという会社に移管している体でした。
ある意味、事業整理を目的にしている悲しい側面もあったのですが、柏レイソルのチケット販売・ショップ運営以外に、スポンサー営業の代理店業務も担っており、私の人生のなかでは、ようやく「好きなサッカーのお仕事」に到達できる喜びのほうが勝っていました。
しかしながら、人生のなかで小売業の経験を充分に積んでいなかったこともあり、入社直後はスムーズに業務の流れに加わることができず、翌2003年1月には、茨城県日立市の生協業務に人事異動を受けることとなり、業務改革推進Gr.という、サッカーとは全く関係のない部署に配属されることになってしまいました。
当時、柏市内にマンションを所有していて、そのローン返済があるなか、日立市の寮費も負担することとなったつらさも重なります。
しかしながら、日立市で出会った生協運営に関わる方々の温厚さや人情に救われたこと、3月からシーズンが始まると、結局週末は柏レイソルでの販売業務に駆り出されることになったこと、休暇は2週間に1度くらいのぺースになったのですが、貴重な経験を積ませて頂きました。
業務委託先での勤務は、このように人事異動により、本来関わりたい場所で勤務できないリスクも抱えることになりますが、逆にメリットと思うような出来事にも遭遇します。柏レイソルからの受託業務だけでは会社が成り立たない状況でしたので、新規事業として日立製作所のバスケットボール部「日立サンロッカーズ」のファンクラブ運営・物販業務なども会社が請け負うことになりました。
結局、当時の社内事情のなかで、2003年8月には本社から再度、柏営業所に復帰することになり、スポーツのお仕事に専念できる状況になりました。
柏レイソルの業務のなかで、商品の納品など柏市役所のホームタウン推進室に出入りする機会は多かったのですが、柏市役所では、柏レイソル以外にも市内に拠点のある女子バスケ・JOMOサンフラワーズ(現・JX-ENEOS)、女子バレー・柏エンゼルクロス・積水化学陸上部など、他競技との連携事業を模索している状況があり、サッカー事業を行うレイソル本体でなく、多事業展開している私たちの会社のほうに、相談を頂くことが増えていました。
2004年、柏市制50周年にあたる年ということで、周年記念事業の予算を先方さまが確保され、スポーツイベントを実施する依頼が私のもとに届いてきました。結局、その予算を駅前商業施設での写真展と、市民会館でのトークショーの実施費にあて、無事成功裡に終えることができました。
所属していた会社は、スポーツ事業体ではない業務委託先の立場ではありましたが、そのおかげで、サッカーの世界に留まらず視野を広げることもでき、小売業のノウハウに留まらず、広告代理店的な業務経験も得るに至りました。
さらに、今になって知ったことですが、プロ化以前のバスケットボール界では、日立に限らず、東芝や三菱電機なども、福利厚生を担う子会社(TBLSサービス、三菱電機ライフサービスなど)が、スポーツ興行業務を担っていることを知るに至ります。
そのようなビジネススキームを、今から15年前に自身は経験していた、ということです。
2004年シーズンの終わりに、また自身に転機が訪れるのですが、その話は私の履歴書(5)で書くことにします。
写真:在りし日の「レイソルチームショップ」。このショーウィンドウ右上に『営業員募集』の貼り紙を見つけ、営業経験ある自身を売り込みに入店したのがJクラブでの勤務経験の始まりです。
0コメント